2017年10月21日

国民参加!

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大阪は長雨が降り続いています。
台風が接近してきているようです。

こう悪天候が続くと何となく気分も引きこもりがちに・・・。

さていよいよ明日は衆議院総選挙の投票日。
これだけ雨が続くと投票率も期待できないのではないかと。

昨晩、雨の上がっている一瞬の間に期日前投票を済ませてきました。
中々決め手のない選挙のようですが、我々の与えられた権利を
行使いたしましましょう。

我々国民が投票しないと社会に何も風が吹きませんから・・・。



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2017年09月11日

無常の風きたりぬれば・・・

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先週、残念な知らせが届いた。

高校・大学、ともに後輩である住職が47歳を一期として
往生の素懐を遂げられた。
中学生の娘さん、小学生の息子さんを残して・・・。

彼は宗派が推進している実践運動(教化活動)において
大阪教区では中心的な立場であり、自然災害の被災地への
ボランティア活動や保護司の活動。
そして寺族青年の野球チームの監督など・・・。

とにかく公私いとわず、積極的に行動するタイプで人望も厚い。

ちょうど今年の5月の末、仲間数人と食事する機会があったのだが、
彼も顔を出してくれていたものの、大柄な体が小さく見えた。
心なしか元気がなさそうにも思えたが、いつも通りの会話を・・・。
今から思えば、その頃から本人は辛かったかもしれない。

そして8月のお盆過ぎから、SNSの反応が途絶えた。

私もご門徒のご法縁のたびに「世は無常なり」とお伝えしてきた。

  されば朝(あした)には紅顔ありて、
  夕べには白骨となれる身なり。
  すでに無常の風きたりぬれば、
  すなわちふたつのまなこたちまちに閉ぢ
  ひとつの息ながくたえぬれば、
  紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを
  失ひぬるときは、
  六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて
  ながきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。

  
これは、本願寺第8代蓮如(れんにょ)上人が、今から約500余年前に
当時衰退していた本願寺を復興するために、親鸞聖人の教えをわかりやすく
手紙形式で綴った「御文章(ごぶんしょう)」で布教活動を行った。
その中に収められた『白骨の章』の一節である。

  朝には血色の良い顔をしていても、夕刻には白骨となる身であります。
  ひとたび無常の風が吹いてしまえば、即座に眼を閉じ、
  ひとつの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく
  変わってしまい、桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、
  すべての親族・親戚が集まって嘆き悲しんでもどうする事もできません。

日頃から「無常」とは、身の回りにあるあらゆるものは常ならざること、
移り変わって少しもとどまらないこと、生滅変化することであると
心得ているつもりではある。
しかし、いざ身近な方、大切な方、家族のいのちが突然途絶えるような
ことが起きうるのもこの娑婆の世界でもある。

ご家族はもとよりご縁のあった方、そして何よりも本人自身、
残念無念であろう。
私自身も何とも言えぬ空虚感で一杯である。
彼からあらためて娑婆の世界の厳しさを教えられたような気がする。

茲に謹んでお念仏申し上げます。
南無阿弥陀仏
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2017年08月07日

想像力!?

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先日、安部第3次改造内閣が発足した。

発足後の内閣支持率も思惑通りのアップとはいかない
ようである。
永田町の空気と私たち一般庶民との空気の違いが
埋めきれなかったのだろう。

内閣改造となる前のここ数ヶ月の国会議員の資質というか
想像力の欠如が窺える数々の事態が・・・。。

私だけがそう感じるのだろうか。

秘書に対する暴力・暴言の女性議員。
サッカーのサポターへのSNSの書き込みで大炎上した女性議員。
軽率な都議選応援や日報問題で辞任に追い込まれた前防衛大臣。
身内に甘く説明責任が不十分で、公私の区別に疑念を持たれ
自らへの批判に向き合ってこなかった総理大臣。

極めて単純明快なことであるが、自身の発言・行動が関係者、
もっと言えば国民にどういう評価が下されるのかを想定して
いなかったのだろうか。
国会議員だからこそ、より一層配慮すべきだとは思うのだが・・・。

世間一般で同様のことが起きるととんでもない事態となる。
クライアントのニーズとは何かを模索し対応していくことが
今の厳しい経済状況の中、生きのびていく道なのかもしれない。

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先日は、某企業からのご招待で「なにわ淀川花火大会」の
VIP席で、充分に真夏の一夜を堪能させていただいた。
どうすれば招待客を楽しんでいただけるか、身なり・言葉遣い・
接遇など自然にふるまえるところに会社の組織力が垣間見える。

当然ながら数字に裏付けられた結果や実績ば求められるが、
そこには基礎的な人間力が必須だと考える。


心当たりのある議員さん、そして企業人の方々・・・。

相手があっての自分であるのだから。
自己の押しつけや想像力の欠如はご遠慮願いたい。

包み隠さず正直に、そして謙虚に。

世間さまはよく見てござる。
阿弥陀さまも見てござる。

南無阿弥陀仏
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2017年05月20日

追慕

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ご無沙汰の更新にて失礼いたしますm(__)m

先日、拙寺の本堂にて久しぶりの通夜・葬儀を勤めさせていた。
お亡くなりになられたのは大正2年生まれのおばあちゃん・・・。
104歳を一期としてお浄土に還られた。

現在は大阪市郊外にお住まいであったが、生まれも育ちも大阪市西区。
そして宗門校である相愛女学校(現相愛高校)の卒業生でもある。
その後、結婚された後も一時期西区に在住されており、自他ともに
認める生粋の「浪速っ子」。

私がご縁をいただいて、現在のご自宅に月忌のお参りをするようになって
25年余り、いつも手厚く仏間まで迎え入れて下さったことを思い出す。
ひとり暮らしであったおばあちゃんから、時折お昼ご飯のおもてなしを
いただいてご一緒させていただいた。
あの時のおばあちゃんお手製の「バラ寿司」「巻き寿司」の味が何とも
懐かしい思いで一入。

そんなおばあちゃんとのたわいない会話の中で

  「私が亡くなたら、正福寺さんの本堂でご縁さん(住職)に
   お葬式をしてほしい」

とお聞かせいただいていた。

  「お寺としては、いっこうに構いませんがご自宅からは遠方に
   なりますが大丈夫ですか?」

と私が応えると

  「私は西区で生まれ育ち、そこで戦争に遭い苦労もありましが
   自分の最期も西区から送り出してもらいたいのが私の願いです。」

その言葉は、今も鮮明に私の脳裏に浮かびあがる。
この思いは、娘さん方にもしっかりお伝えされていた。

戦前・戦中・戦後・・・
人生の中で楽しむべき時期がなかったかもしれないおばあちゃん。
早くにご主人を亡くされ、子育てと仕事で無我夢中だったかもしれない。

しかし私が知る限り、人生の悲壮感を感じたことは一度もない。
むしろ常におおらかな受け答えで凛とした笑顔が絶えなかった。

おばあちゃんから感じた「西区愛」
そして人生を生き抜く力強さと優しさ。

本当にお世話になり有難うございました。
謹んでお念仏申し上げます。

南無阿弥陀仏
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2017年04月27日

富士山

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先日、ある会合と交流会のため東京へ・・・。

新大阪から品川まで新幹線移動。
天候にも恵まれ、途中の車窓から壮大な富士山が・・・。

 ♬・・・富士は日本一の山・・・♪♪

小学生の頃、音楽の時間に歌ったような記憶がうっすら残る。

あらためて思う。
世界遺産たる日本一の山だと。
日常の雑踏の中に身を置いている現代人。

色々な制約やしがらみの中で自己表現の手法を模索しながらの
私たちの現実な姿。
そんな些細なことを遥かに超越しているのが富士山なのかと。
そういう思いを巡らせながら品川に到着。

職責を果たし、またこの度の知り得たたくさんの情報を聞かせて
いただくとともに・・・。
そして、かけがえの仲間の支えを感じつつ・・・。

この度も得難いご縁をいただいた。

南無阿弥陀仏
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2017年04月10日

円熟味

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若い頃見聞きした音楽・映画・本・・・。

当時感じたもの、そしてそこのは自分に合うもの、しっくりいくもの
多少なりとも影響を受けたものある。

ところが50代の今の私が、同じ音楽・映画・本を見聞きすると
30年前に感じたもとの異にすることがよくある。
少なからずの時間の経過によって育まれた人生経験によるものだろうか。

コーヒー、アクの強い山菜、独特の風味を持つ山海の珍味など、
幼少の頃、大人が好んで食した光景が受け入れがたかった。
今や砂糖ミルクなしのコーヒー、山菜珍味など好んで食している私が・・・。

要は一度敬遠したものを毛嫌い、敬遠するのではなく再度チャレンジ、
試してみると案外抵抗感のないことが多い。
同時に、そのものの本質や良さを感じることのできる舌であることに気づく。

老いを重ねてくると、物忘れが増え体力の減退を感じざるを得ない。
しかしこの年齢であるが故に新たな発見もあり、新たな視界が広がることもある。
じっとしていては何も起こらない。だからものの試しが必要だと思う。
まあとにかく一歩を踏み出してみよう・・・。

そう思うと、老いもまんざら捨てたものではない。
円熟味を武器に今をもっともっと楽しんでみたいものだ。

南無阿弥陀仏
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2017年03月27日

熱戦!!!

昨日は、高校野球、大相撲、ともに目が離せない熱戦が続いている。

まずは高校野球・・・。

私も40年余、高校野球を観戦しているが記憶にない。
2試合連続の延長再試合は夏の選手権大会を含めても史上初だそうだ。

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     福岡大大濠vs滋賀学園

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     高崎健康福祉大高崎vs福井工大福井

全く違った試合内容だが、選手にとってはまさに激闘。
選手の体調・健康管理を考慮して無理のないように願うばかりだ。

とにかく悔いのないように!


次に大相撲・春場所・・・。

場所前から新横綱・稀勢の里に注目が寄せられていた。
期待通りの相撲で12日目まで白星を重ねていた。
ところが13日目の対日馬富士戦で惜敗。
その際土俵から転げ落ち左肩を強打し負傷。

千秋楽、白星一つを追いかけての大関・照ノ富士戦。
この時点でケガの状態から見れば誰もが逆転優勝どころか、
相撲が取れるかどうかも案じていたに違いない。

実は前日の14日目の照ノ富士。
先場所大関を陥落し、今場所10勝以上の勝ち星で大関復帰を
かけている関脇・琴奨菊戦で注文相撲、いわゆる立ち合いに正面から
ぶち当たらず、かわして勝ったため館内から異様なブーイングが
起きていた。
つまりは相当精神的に追い詰められていた照ノ富士。

さてその照ノ富士との対戦。
本割に続いて優勝決定戦にも勝ち切って、新横綱の優勝となった。
正直、驚きと同時に感動なのか身震いが・・・。

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優勝インタビューで

 見えない力を感じた15日間だった!

おそらく今まで支えて下さった方々の思い、そして厳しく指導された
先代親方の思いが溢れての男泣きだったのだろう。

甲子園も難波も熱い熱い一日だったのかもしれない。
あらためてスポーツのすばらしさを感じさせていただいた。

南無阿弥陀仏


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2017年01月27日

横綱・稀勢の里!

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無類の野球好きの私だが、その野球に匹敵するぐらい
大好きなのが大相撲・・・。

先日の1月場所に優勝した大関・稀勢の里!
場所後、横綱審議委員会に推挙され、正式に横綱昇進。
若乃花以来、19年ぶりに日本出身横綱が誕生した。

そして本日、明治神宮で奉納の土俵入り・・・。
何か久しぶりに日本国中が清々しい晴れやかな気分に
包まれたのではないだろうか。

稀勢の里は、中学校を卒業後15歳で各界入り。
中学では野球部でエースで4番だったとか・・・。
それから苦節15年、まさに叩き上げで上り詰め、
待ちに待った横綱。

関係者の方々は喜びで一入だろうが、何といっても
一番喜んでおられるのは亡くなられた先代の鳴戸親方
(横綱:隆の里)に違いない。
当時、各界一厳しいと言われていた鳴戸部屋。
本当に諦めず耐え忍んでの横綱昇進は、昨今の日本人が
忘れかけていたものを蘇らせてくれたような気がする。

  心に決めたことを継続する
  辛抱すること
  お世話になった方への感謝

武骨で決して起用とは言えないが、何かしら応援したくなる。
また楽しみがひとつ増えた・・・。

頑張れ!横綱・稀勢の里\(^o^)/

南無阿弥陀仏

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2017年01月25日

24時間営業

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早いもので今月も既に後半に・・・。
正月気分が抜けてすっかり平常の流れに戻った感じ。

正月気分・・・。

私たち世代が子供の頃のお正月はというと、三が日の町並みは「シーン!」
本当にひっそりと静かなもので、お店はお正月休み。

家では家族揃って、おせち料理・お雑煮を食べて・・・。
そんな懐かしい光景が、今やコンビニをはじめ、元旦から開店している
店も珍しくない。
2日からはほとんどのスーパーや百貨店が開店し、何とも賑々しい。

いつから何だろうか?
たぶん24時間営業のコンビニの影響が日本人の生活習慣を変貌させたと
言っても過言ではない。
お寺周辺のファミリーレストランも、もちろん年中無休の24時間営業だ。
しかし最近この24時間営業に疑問視する世間の声が上がっているようだ。

年中無休や24時間営業を見直す動きは数年前から始まっていたという。
一部のファミリーレストランやファーストフーズでは24時間営業の店舗を
廃止することを決定し、「定休日」を設ける検討も始めていると。

理由の一つに、厳しい世間の目が、いま「過重労働」に注がれていて、
企業も営業時間短縮の取り組みを始めた。
つまり働く環境を改善するということのようだ。
24時間営業だけでなく、早朝や深夜の営業時間短縮も進めていて、
その分、来客が多い時間帯に従業員の数を増やす方針だという。
かつては低価格路線と24時間営業店舗の拡大で業績を伸ばした業界も、
営業時間短縮にかじを切ったとのこと。

総論として、第一に24時間営業に必要な人材や光熱費にかかる投資を
来客数の多い時間帯のサービス強化にあてたほうが、消費者の希望に
沿うことができるという店舗が多くなってきた結果だという。
第二に人手不足もある。牛丼チェーン店が深夜時間帯に従業員を店舗に
ひとりしか置かない「ワンオペ(ワン・オペレーション)」の常態化が
明らかになり、休憩すら取らずに働かなければならない過酷な労働実態が
問題になった。人員を増やすには、高い賃金を支払うしかない。
するとコストに見合わなくなる。深夜客の減少もあって営業時間短縮する
企業が増えている。

しかし相反して、私の通っているスポーツジムの店舗数の増加はすごい。
24時間出入り自由で深夜は無人。
入会者の持つカードキーですべてが管理され万一に備えてのセキュリティ
対策も万全で月会費が格安。

企業の危機管理に詳しい学者さんは
 「事故や災害などの目に見える損失より、ブランド価値の目に見えない
 損失のほうがダメージが大きい。目先の利益のために、ブラックな雇用
 形態を続ける企業は、将来的に大きなリスクを背負う」

一時的に利益が少なくなるという“コスト”を払ってでも、従業員の心身の
健康を大切にしたほうが将来手にできる利益は大きいと・・・。
無理な深夜営業を続けたり、従業員に長時間労働を強いたりする企業には
人材が集まらず顧客も離れていくということになれば、過重労働は企業の
「リスク」になる。

24時間営業の形態で少なからず日本人の生活環境が変わった。
この環境に慣れ親しんでしまうと今更後には引けない。
そして、色んなところで弊害が起きているのも事実だ。
つまり過剰サービスは、必要ないと・・・。

だからこそ私たち消費者は少しだけの不便に我慢が必要だ。
同時に企業は少しだけの損失を覚悟の上で工夫と智恵が必要となる。

「24時間営業・対応」のフレーズが“足かせ”になる時期がもうそこまで
押し寄せて来るのかも・・。

我慢と工夫と智恵!!!

南無阿弥陀仏

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2016年12月21日

冬至

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今日は冬至。
一年で昼(日の出から日没まで)の時間が最も短い日。
大阪市日の出時間は7:01、日の入り時間は16:50。

本当にこの時季は「つるべ落とし」いわれるように急に日が沈む。
さて今年も残り10日・・・。

今年の締めくくりと迎える新年の準備に追われて、
何かしから慌ただしい。

30日には、毎年恒例の餅つき。
今年もたくさんの方がお越し下さいます。

さあ、ラストスパートです!
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2016年11月30日

追想

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今日で11月も終わり・・・
今年も残すところ1ヶ月となりました。

一年を振り返りながら、反省するところは反省し、
有り難く成し得たことは素直に感謝させていただく・・・
そんな想いになる時季となってまいりました。

今月、忘年会と称した食事会は既に2回終えました。
来月にはあと4回、予定が控えております。
これもたくさんの方々とのご縁の賜物です。

先日、以前に拙寺の事業活動に関わって頂いたメンバーとの
宴がありました。
このメンバーとの出逢いは今から7〜8年前。
その間、概ね3〜5年ほど関わりがあり今日に至っています。

現在も継続して拙寺をサポートして頂いている者、自らの個性や
類稀な技術を生かしながら、あるいは人生のギアチェンジをした者。
一同それぞれの環境下で日々充実した毎日を過ごしている事の現実に
何とも言えぬ安堵感と充実感をうかがい知ることがでました。

このメンバーと関わっていた頃とは、世の中も変わってきました。
当時の懐かしい回想に一種の学びのような事を互いが感じ得たような
気がします。

話題の中心というと・・・

特に人間であれペットであれ、葬送儀礼の市場原理として
良し悪しはさておき、淘汰される昨今の厳しい現実であること。

そんな厳しい世情の波にのまれる者と適応していく者と概ね
2タイプに分れる。
当然ながら、波にのまれることと適応することでは全く意味も
方向性も違ってくる。
つまりは、個々の生活信条であったり企業でいう経営理念であったり、
その都度揺るぎない根幹が基となり、個々の事象に柔軟に耳を傾ける
ことができるかどうかが分かれ目なんだと。

そこには必ず、緻密な短期・中期・長期の将来設計や展望があり
そして構築していくには志を一にした互いのつながりと信頼関係が
必須条件かもしれない。
特にお寺としての性質上、信頼関係で成立している要素が大きい。

こんな風に意外と真面目な話と当時の教訓を生かした話で
盛り上がりながらの空間でした。
一緒に参加してくれた子供たちの成長の様子を見ていると、
時の流れを感じずにはおれません。

時間が過ぎた分、私たちも真実を見極める眼が養われ
成長できたのならこれほど有り難いことはありません。

互いを刺激し合いつつ、またの機会に話は持ち越しです。
また有り難くも楽しいご縁をいただきました。

南無阿弥陀仏
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2016年11月24日

これも現実!?

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数ヶ月前より目が見難くなったというか
眼鏡が合わなくなったというか・・・。

今の眼鏡も1年半位前に新調したにもかかわらず(≧∇≦)

とうことで思い切って眼鏡を新調することに。

検眼してみると眼鏡をかけて0.6、裸眼では検眼表の
0.05がぼやけて測定不能となるありさま(大汗)
元々の近視と乱視、加えて一気にすすんだ老眼で
今回は初めての遠近両用の眼鏡にしました。

慣れないせいか視界がしっくりしません。
益々老いが現実的になってきました。
しかし事実を事実として受け入れなければ・・・。

南無阿弥陀仏
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2016年11月19日

木を見て森を見ず

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先日、有り難くも貴重なご縁をいただきました。

ある業界で永きにわたり企業のトップとしてご活躍のNさんとのお話です。
昨今の経済状況、社会通念が目まぐるしく変化してきている中、
安定的な経営を維持していくにはと言う話題に・・・。

森を見て木を見ず、葉を見て木を見ず

日常業務に対して、一生懸命に仕事をしているとついつい自分の仕事の
本質を見失いがちになってしまい、部分・枝葉・細かい取り決めなどの
小さいことばかりに目が行ってしまうものだ。
どれも重要で欠かすことができない大切なことだが、全体と部分の
両面を常に見なければならない。

仕事の本質的なところの話を言えば、組織の問題、マネジメントの問題、
個人の問題など、側面での諸々の問題があるが、大事なこととして
まず何が必要か?
やはりいちばんの重要なことは組織の方針に尽きる。
経営者は、その経費方針をベースとして、仕事・人・文化・仕組みを
トータルでバランスを取りながらぶれることなくマネジメントして
いかなければならない。
また逆に経営者は、社員・スタッフに言動行動を見られている立場でもあり
一緒に汗を流してくれるか否か見据えてるのだと・・・。
そうでないと言葉というものは捉え方が人それぞれ違ってくるので、
言葉を共有化するのではなく、身をもって信頼関係を構築していかなければ
ならない。

戦略としては、あくまでも個別企業(木)の問題。
同じ森でも伸びている木もあればパッとしない木もある。
この違いをつくっているのが戦略だ。
逆に、個別企業の戦略をよく見ようとすると、木(戦略の全体)を
捉えようとせず、葉(ぱっと目につく個別の事例)を見るだけになってしまう。
つまり「葉を見て木を見ず」になってしまうのだと・・・。

そんな話を聞かせていただき、お寺の護持運営も同じだと。
お寺へのお参りの減少を宗教心の希薄、核家族化等「森」(社会全体)の
理由にしがちです。
寺院の中でも活発に寺院活動し活性化しているお寺もあります。
森だけの原因ではありません。

企業や病院や社会福祉施設や学校、そしてお寺であろうと、
経営戦略は成り立ちます。
「森」や「土」のせいにせず、また細かな「葉」だけの話にせず、
きちんと「木」(経営戦略)を明確にしなければと切実に感じます。

ここで頭をよぎるのが以前にも書きましたが、近江商人の
「三方よし」の活動理念です。

売り手よし 買い手よし 世間よし

客様(買い手)に喜んでもらうことはもちろん、社会貢献ができてこそ
良い商売であるという考え方であり、社会との関わりを重視する
ソーシャルマーケティングの視点が含まれています。

信頼を得て商売を成功させるためには、私利私欲の為だけでなく、
その地域のことを心から想い、関りを持つ縁者や地域に貢献する
ことを重要視していたことがうかがい知れます。
さらに社会貢献については、見返りを求めず、人知れず行うことを
良しとしています。
つまり世間さまへの恩返しは分らぬように目立たぬように黙って
させていただくということです。

近江商人の精神は時代を越えて受け継がれており、
「近江商人の商売十訓」が有名ですのでご紹介を・・・

近江商人の商売十訓

@商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
A店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
B売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
C資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
D無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ
E良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
F紙一枚でも景品はお客を喜ばせる、つけてあげるもののないとき
  笑顔を景品にせよ
G正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
H今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、
  寝につかぬ習慣にせよ
I商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ

最後に話されたNさんの言葉が・・・。

  ダメな企業(経営者)は、
  トップは現場を知らない、そして汗をかかないため現状の危機感が
  持てていないことがいちばんの致命傷。
  だから社員・スタッフは時と場所と相手によって言葉や対応が違う。
  必然的に組織としての体力と安定感が備わっていない分、社会全体の
  信頼関係に直結し、ひいては時代の大きな波に一溜りもなく飲まれて
  しまうという末路の道を辿るんです。
  目先の木や葉にこだわり過ぎて責任感がなくなると、責任転嫁して
  もがき続けることになります。

続いてんNさんは、

  こんな時代だから何が起きるかわかりません。
  しかし本当に困った時に周辺の人が離れていくのか、それとも親身に
  なって話を聞いてくれて自分のこととして手を差し伸べてくれる人が
  いるかどうかが今の自分に問われています。

と話されました。
今の自分の姿を重ねつつ有り難いお言葉、聞かせていただきました。

南無阿弥陀仏
posted by 正 at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと

2016年11月08日

量より質!

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最近つくづく感じること・・・。

年齢とともに何かにつけて趣味趣向、物の好み、考え方や意識が
変化してきていることに気づかされます。

例えば、10年前を振り返ってみると当時我が家の四人の
息子たちは食べ盛りのピークに差し掛かり始めた頃・・・。

お米も朝に一升、夜に一升と一日二升を炊くのも珍しくなく
何かしら常にお腹が空くという感じ。
旬のもの、食材を生かした料理というよりは満腹感を得るという
まさに質より量というような食事でした。

時折の外食もまずは食べ放題の店から選ぶというような感じで
私たち夫婦もそれにつられていたような気がします。

しかし流石に私たちもがつがつ食べるというよりは、
自分たちのペースでゆっくり、ちょっといいものを何種類もの
料理を美味しく味わいたいという感覚になってきました。
多少経済的に負担が大きくなっても満足感を優先したいという
思いに変化してきました。

つまりは、量という目と体の満腹感を得るというよりも
目では見えない本物の質にこだわる充実感を求めているのだと。

以前ある講演会で聞いたことが蘇ってきました。
人間が充実感を得るには三間(さんかん)が大事なんですよと・・・。
三つの間のことで、
一つは時間、二つめは空間、三つめは仲間

忙しい最中ではあっても自分の限られた時間の中で、空間という
自分の居場所があり、そして何よりも気の許し合える同志、
仲間が身近にいてくれることが、人生の充実感を得ることなんだと。

なるほど、なるほど!!!

昔、と言っても30数年前の「金八先生」という学園ドラマの中で

   世の中にはお金では買えないものがある。
   仲間、友情、親からの情愛、経験・・・

そんな1シーンがあったことを思い出します。

物事の本質は押し付けるものではなく感じるものであって、
量と質の本意を逆にはき違えると世間から淘汰されてしまいます。
さらには質を見極める眼を磨くには、出来るだけ自己の経験値から
かけ離れたタイプの仲間と縁を持つことだろうとも思います。
そしてそこには学びや生きるヒントに満ち溢れていることに
気付かされます。

かけ離れた未知の領域に踏み入れることは勇気と覚悟が求められます。
しかしそれの無き者は、自己にとって都合の良い者と群がることとなり
結果、居心地が良い分、人間的成長は鈍ります。
やがて気がつけば自己の本質を理解しあえる者は離れていくんですよね。

目で見えるものやお金に執着し過ぎないということでしょう。
お金では買えない時間・空間・仲間の存在が有り難く・・・

南無阿弥陀仏


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2016年09月29日

2025年に大阪万博?!

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今日の朝刊各紙の一面に
  「大阪万博 政府誘致へ」
  「大阪万博 建設費1300億円」
と目に飛び込んできた。

えっ!ホンマに大阪で万博!!!
これが私の第一印象

今から40余年前の1970年、ちょうど私が小学校に入学した年。
そう、あの大阪万博。
6000万人以上が来場し、当時日本国民の2人に1人が入場したことに。
私の記憶では、親や親せきに連れられて3回ぐらい行ったような・・・。
子どもながらに見るもの、周りの雰囲気、そして何よりも人の多さは衝撃的で
あったことは鮮明に覚えている。
千里まで行くまでの自動改札、電気自動車、出会ったことのなかった外国人、
奈良の田舎育ちの私にとっては、宇宙にでも来たような未来の国だった。

万博を契機に1970年代の日本は、まさに高度経済成長期で活気があり
何よりも夢や希望があったように振り返る。

さて2025年の大阪!
どうなっているんでしょうか?
残念ながら1970年代のようにはいかないというのは間違いのないようだ。

費用対効果、つまりかけた費用によって得られる成果があるのかどうか・・・。
経済効果だけではなく、その後の私たちの暮らしが不安のない豊かな生活になるのか。
現実的なことからいえば、人が動き物が動くとお金も動く。

東京では東京五輪の施設、豊洲市場移転と我々の知らないところで人と物とお金が
動いていた結果、八方ふさがりになっている。

東京五輪や大阪万博程の大きなスケールではないものの私たちの身近においても
多少なりとも費用対効果を考えながら企画立案は必要だということだ。

得られる成果がついついお金に執着しがちだが、決してそうではない。
確かに軍資金は必要ではあるが、かけた費用によって得られた経験、ノウハウ、
人脈こそがまさに効果であると私は思う。

追い求める成果を勘違いした者は、世間から淘汰されていくが残念ながら
それも厳しい現実・・・。

私の正直な大阪万博の思い!!!
もう一度大阪万博に行ってみたい・・・。
けどホンマ大丈夫、できる???

あんまり深い意味はありませんが、皆さんはいかがですか?


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2016年08月23日

リオ五輪

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17日間のスポーツの祭典、リオ五輪が昨日閉会した。
心配されていたテロや大きな事件事故もなく無事に終えた。

改めて純粋に、スポーツの持つ大きさを感じさせられた。
勇気と感動、うれし涙に悔し涙・・・
日本人選手の活躍も目を見張るものがあり、メダル獲得も
金-12、銀-8、銅-21、合計21にも及び過去最高の
獲得数であったとのこと。

特に今回は、個人競技以上に団体競技、ペア競技の健闘が
目立ったように思う。
  
  体操男子団体-金
  競泳男子4×200m-銅
  陸上男子4×100m-銀
  卓球男子団体-銀
  卓球女子団体-銅
  バトミントン・ダブルス女子-金
  シンクロ・チーム-銅
  シンクロ・デュエット-銅
  
個々の技術・体力では太刀打ちできない部分を目では見えない
団結力と互いを信じ切る信頼関係で補った結果だと感じる。
この日々の細かな積み重ね、そして最後まで決してあきらめない
精神力は日本人特有の感性だと思う。


さあ4年後は東京開催!
長いようであっという間の4年だとも思う。
開催に向けての諸問題はまだまだ山積しているようだが、
競技者目線での立場を充分に考慮した方向で取り決めて
いただきたいことを切に望む。

主人公は選手なのだから!!!

選手の皆さん、関係者の皆さん、感動を有難うございましたm(__)m
そしてお疲れさまでした。
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2016年08月04日

無駄?

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     輪灯の灯明

先日、月忌のお参りに伺ったご門徒宅でのお話し。


 ご主人  若夫婦が和室をリホームしたと言っておりまして…

 私    生活様式が昔とずいぶん変わりましたからね。

 ご主人  完全な洋間にしたいと… 
      床の間や違い棚のスペースが無駄で勿体ないから
      収納スペースにしたいというんです。 
 
 私    季節ごとにお軸も掛け替えられていつもきれいに
      されていましたのにね。

 ご主人  床の間を無くすほうが勿体ないというのですが…


お話を聞かせていただいたご主人は、心なしか寂しそうで
どうも合点がいかない様子。

以前ある先輩住職から聞かせて頂いた言葉がふと思い出す。
「無駄なこと」や「手間のかかること」から人の感性は育つと。

先ほどのご門徒宅でのお話のように、床の間を収納スペースに
すると物は片付くし、部屋も生活しやすい様式になるのだろう。

そう考えると、お寺の本堂は実に無駄なスペースが多い。
しかしこの本堂のスペース・空間こそが阿弥陀さまの温もりに
包まれた何とも言えない心地よさがある。

本堂の内陣の荘厳(阿弥陀さまのお飾り)も最近は便利に
なってきており、灯籠(とうろう)輪灯(りんとう)なども
電球に変わってきて手入れもしやすい。

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ただ正福寺の本堂の輪灯だけは、灯芯の先を整え灯明油を注ぎ
従来の形にこだわって灯明をさせていただいている。

少し時間が経つと灯明油が酸化して変色しドロドロ状態となって
処理に手間がかかって、正直大変である。
そしてその度に奇麗に油を拭って磨き、灯芯を整え直して
灯明油を注いで点火する。

当然ながら点火された灯明は電球の灯明と全く趣が異なる。
灯芯から揺れる炎が心を清らかに和ませてくれる。
お寺とは目では見えない心の響きを感じることのできる
場所であろう。

今後も物事の本質をしっかと受け止め、そこから気付き
学ぶことのできる意義のある空間としていきたいものだ。

利便性を追求することに異論はないが、あまりにも過剰に
なりすぎると物事の本質からかけ離れた方向に踏み入れる
こととなり、結局は我々人間が生きにくくなるような
気がしてならない。

現代人の時間と空間の余裕のなさなのだろうか…

南無阿弥陀仏

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2016年08月02日

小さな大横綱

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大相撲の九重親方が亡くなられた。

私たち世代にとっては、九重親方というより横綱・千代の富士と
呼ぶほうがしっくりくる。

振り返ること今から35年ほど前にさかのぼる。

毎年3月の大阪場所が近づくと、当時近鉄上本町駅付近から
谷町筋にかけて幾つかの相撲部屋の稽古場兼宿舎ができ、
賑々しく棚引くのぼりが目に入ってくる。
鬢付け油の匂いが漂い、お相撲さんの浴衣姿を見かける。
大阪の街も大阪場所を歓迎するかのような光景に・・・

通っていた高校の近くにも九重部屋の稽古場があった。
帰りに相撲好きの友人と寄り道をして稽古場まで足を運んだ。
お目当ては、幕内・千代の富士。
小兵力士ではあるが、豪快な相撲の取り口は魅力的で
格好がよかった。
高校3年生の卒業目前となった年は、一気に関脇から大関に
駆け上っていった一番勢いのあった頃だったと記憶している。
その後、皆さんが承知のように幕内優勝31回を重ねる
大横綱となった。

千代の富士の出現で今までの力士像、横綱像を一変させた。
筋肉質の体形、スピード感溢れる取り口、ここ一番に強い勝負勘。
そして何よりも足が高く上がっていた四股、そして雲竜型の土俵入り。
兎に角強くて格好がよかった。

怪我が多かった下積みの教訓から並々ならぬ稽古で積み上げた
鎧の筋肉と負けん気に魅了した。
まさに我々世代のヒーローだった。

本当にお疲れさまでした。
そして有難うございました。
謹んで哀悼の意を表しお念仏申し上げます。

南無阿弥陀仏
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2016年07月29日

相談ごと

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時間に追われたり人とのしがらみの気遣いで何かとストレスが
多い現代人。
そしてそんな自分に無力感を感じ、悩んだり、迷ったり・・・。

住職のということもあって、もちろん門信徒の皆さん、
地域の皆さん、息子たちの野球チームの保護者として何かと
相談ごとを寄せられることが多い。
内容は本当に多種多様だ。

仏事作法・仏教や浄土真宗のこと
ご家庭のお墓・仏壇の継承のこと
ご自身の葬儀のありかたのこと
独居高齢者のこと
野球チームと選手家族のありかたのこと
野球チームの保護者間の人間関係や進路のこと

当然私自身も皆さんと同じで何かと思い悩むことがある。
勝手ながら私の経験上からいうと、8割方心配のし過ぎというのが
そもそもの原因かもしれない。
神経質になりすぎていることが多く、ほぼ何とか解決できる、
何とかなると私は考えている。
要は、目の前の出来事の本質を知り気付けたら極地から
脱せるのではと。

故に相談事が寄せられると、まずは今の心情の全てを
出し切ってもらう。
この時点でほぼ冷静に物事を客観視できている。
そして事実に向き合って本質を直視できるように言葉掛けを
するようにしている。
ここまで来ればほぼ解決で、同時に解決の方法論が見えてくるものだ。

ただ厄介なのは、残りの2割の方だ。
人間はつくづく臆病な動物だと思う。
というのも、相談といいながらその時点で相談相手がほぼ
決まっている。
同時に自分の考えや結論もほぼ決まっている。
だから相談内容を話すとき「YES」と返事してくれる人を
選んでいる。
相談内容より自分にとって都合の良い人なのだ。
つまり相談という名のもとで、遠回しに後押しとうか賛同を
求めているに過ぎない。

仮に「YES」なり賛同がなければ、
“私の気持ちを理解してくれない”
と非難する言葉さえこぼれる。

ここで考えておきたいことは、相談相手を間違わないことだ。
そして相談内容に関するスペリャリストにすべきである。
本当に当事者のことを思うと、時として耳の痛いことを
聞かされる場合もあるが。

仏事ごとの相談なんかでいうと、
葬儀社さん・仏壇店さん・石材店さんから聞いて・・・
私の友達から聞いて・・・

ご家庭の宗派やご家族事情、宗教観があるわけで手次のお寺に
相談すべきだ。

家を建てるときは建築士
医療・健康については医師
財務関係については、会計士
トラブルや契約事項につては弁護士
目の前の新鮮な食材の調理方法・食べ方は調理師

昔から「餅は餅屋」という言葉が・・・

昨今はちょっとした隙間を狙ってくる輩がいる。
残念ではあるが自己防衛をせざるを得ない世の中になった。
真実はひとつ!!!
嘘や偽りは必ずメッキははがれますから・・・

南無阿弥陀仏


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2016年05月08日

あっとう間の7回忌法要

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今日はゴールデンウィークの最終日。

振り返ること6年前の5月8日。
甲子園出場を夢見た次男のチームメイトであった高校2年生の
高校球児が志半ばで亡くなった。
若干17歳の生涯に幕・・・。

そして拙寺本堂にて、彼の家族、親族、当時の野球部のチームメイト、
友人知人の30余名が参集の中、7回忌法要を勤めさせていただいた。

その間、本日を迎えるまでの感覚としてはあっという間の一言・・・。
高校卒業後、大学、社会人と同級生たちはそれなりの環境の変化が
あっての7回忌法要。

法要後のお父さんからの挨拶の言葉に
「皆さんは、見た目も中身も変わって成長もしてきていると思いますが
 私にとっては遺影のとおり、当時の丸刈りの高校2年生のままです。」

同じ子を持つ親の立場としては、何とも身に染みる思いだ。
しかし彼のお蔭で、大切な“いのち”を見直す機縁を与えてくれたと思うと
それは本当に尊いと思う。

あらためて今生かされているこの“いのち”に感謝!

南無阿弥陀仏


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