2018年04月26日

鉄人が・・・

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元プロ野球、広島東洋カープで連続試合出場記録保持者である
衣笠祥雄さんが往生された。

我が家の三男の母校・平安高校(現龍谷大平安)の硬式野球部の
大先輩でもある。

私が野球に興味を持ち、釘付けになって食い入るようにプロ野球の
テレビ中継を観戦して始めたのは今から約45年以上前の頃・・・。

当時は長嶋選手・王選手を中心としたジャイアンツの黄金期。
セ・リーグでは阪神タイガース、パ・リーグでは南海ホークスの
ファンであった。

打倒ジャイアンツの情勢の中、個性的で魅力的なプレイに
魅せられた選手がいた。

阪神タイガースの江夏投手
中日ドラゴンズの星野投手
大洋ホエールズの平松投手
ヤクルトアトムズの若松選手
そして広島東洋カープの衣笠選手

私の中では長嶋選手・王選手は別格、
江夏投手と衣笠選手は子供ながらにプロ中のプロの選手だと
思っていた。
江夏投手は強打者の立ち向かう強気の投球・・・。
衣笠選手はインコースの球や死球を恐れず踏み込んでいく打撃・・・。

この二人は後に広島カープで同チームとなり、1979年の
近鉄バファローズとの日本シリーズで日本プロ野球の伝説と
なったあの「江夏の21球」に繋がる。
リリーフエースの江夏投手がピンチとなった最終回に当時の
古葉監督がブルペンでの投球練習を二投手に命じた。
今はなき大阪球場はファールゾーンにブルペンがあったため
江夏投手にはその様子がよく見える。
古葉監督から、自分は信用されていないと感じた江夏投手の
表情が一変したという。

その江夏投手の表情の変化に気付いた三塁手・衣笠選手は
  「この場面を抑えられるのはお前しかいない。
   お前がやめるなら俺も一緒にやめてやる。」
と告げた。
我に返った江夏投手は、厳しい局面を脱出し、日本一に輝いた。

引退後は定期的に掲載されていた朝日新聞の「鉄人の目」の
コラムも愛読させていただいた。

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      最後の「鉄人の目」


私は衣笠さんと2回会ったことがある。
1度目は今から約18年ほど前・・・。
北御堂(本願寺津村別院)へ所用で出向いた時、たまたま取材で
来られていた衣笠さんと出逢った。
一緒にいた我が家の三男にも気さくに声をかけていただき握手を
して下さった。
2回目は2年前の東京ヤクルトの沖縄浦添キャンプ。
山田選手の計らいで球場のバックネット裏の本部席で応援観戦
していたら衣笠さんとスポーツ記者らしき方と入ってこられて
私の右横の席に着かれた。
そして韓国プロ野球チームとの紅白戦の生解説が始まった。
その内容は今でも鮮明に覚えている。

 記者  今のインコースの球〇〇選手、うまく打ちましたね。
 衣笠  確かにうまく打ったけど、たまたまの出会い頭ですね。
 記者  そうなんですか?
 衣笠  次の打席で〇〇選手は今と同じ球を今のように打てますか?
 記者  ・・・・。
 衣笠  おそらく彼にはあの球をさばける技術がまだないんですよ。
 記者  なるほど。
 衣笠  その点、山田選手はインコースをうまくさばける技術があるんです。
     同じコースに来て自分のポイントできっちり打ててこその技術です。
     若いのに山田は打つんですよ・・・。
 記者  山田選手はインコースをうまく打ちますね。
      (ちょうど山田選手の打席でインコースを見事本塁打!)
 衣笠  うまく打ちますね!
     これが技術ですなんですよ。

私にとっては至福の時間だった。
たまたま持参していた三男の龍谷大平安のベースボールバックを
見られて私が
「息子は衣笠さんの平安高校の後輩です。」
とお話しすると
「息子さんに野球を好きになるよう頑張ってと伝えて下さい。」
と有り難い言葉をいただいた。

本当に紳士で穏やかな優しい印象であった。

先日の星野さんもそうですが、また一つ昭和が薄らいでいく。

衣笠さん
本当に夢と希望と強さとそして優しさをいただきました。
謹んで哀悼の意を表し、お念仏申し上げます。

南無阿弥陀仏
posted by 正 at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 野球
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