2017年07月25日

善悪!?

歎異抄.jpg

今ここに 『歎異抄(たんにしょう)』 という書物がある。

今から700余年前頃に浄土真宗の開祖である親鸞聖人を直接しる
唯円(ゆいえん)の手によって親鸞聖人の語録とその解釈や教えに
対する異端への批判を取りまとめられた書物である。

実はこの書、非常に危険できわどい内容であるため、読み方を
一歩間違えれば、

   お念仏の教えは、悪行を重ねようが何をしようが
   阿弥陀さまは全ての人を救い摂って下さる

と受け取られかねない部分が多くあり、のちの蓮如上人は
禁書として一般には目に触れないようにした。

まずは『歎異抄』の「歎」・・・。
親鸞聖人のお念仏のおこころを誤解して受け入れてしまう。
しかしそうではないはずだ。
人間というのはどうしても間違いやすいものだ。
その間違いを切る棄てたり、間違いを打ち破るとうことではなく
歎くのだと・・・。
怒ることでも攻撃することでもなく「歎」

そこでまた色んなことに気付かされる。
理不尽であったり、間違ったものがあることによって、
正しい真実とは何かが見えてくるものだ。

ついつい私たちは、自分の意に添わなかったりそれこそ
理不尽なことが起きるとそれを排除しようとする。
しかしその目の前の事象から正しい真実とは何かを学ぶ縁では
ないかとも考える。

ある一部上場の大手企業の社長さんと話をするご縁に恵まれた。

 眼で見えない隠れたところに会社の思いを全て込めております。
 人間は、特に現代人はついつい目で見えるところに振り回さて
 いますが、社会が求めている本質とは何かを模索して仕事を
 させていただいています。

という話を聞かせていただいた。

実際私の周辺にも、目先のことや見た目ばかりに目を奪われ
本来あるべき姿とはほど遠い者がいるのも確かだ。
残念ながらそういう者は社会のニーズに合わずまた社会に協調できず
社会に取り残されてしまっている。
ましてやその現実にすら気付けていないところがほとんどのようだ。

親鸞聖人が説く「善」と「悪」は一般の概念の善悪と意味が異なる。
阿弥陀さまから見た私たちの姿・・・。
「悪」だからこそ阿弥陀さまにすべておまかせするのである。

南無阿弥陀仏




posted by 正 at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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